山梨県を代表する伝統工芸品、甲州印伝は、鹿革に漆で模様を付けるのが特徴で、この革を使って様々な製品が作られています。
その歴史は古くは奈良時代に遡り、戦国時代には鎧や兜に用いられ、現在製法が伝わっているのは甲州印伝のみです。
甲州印伝の起源については、文献から江戸末期には産地が形成されていたと考えられ、明治期になると、信玄袋や巾着袋などが山梨の特産品として確立され、現在は鞄や財布からスマホケースまで様々な製品が製造され多様化しています。
今回は昨今、そんな印伝を通して、さまざまな分野とのコラボや独自路線で新しい印伝ブランドを築きあげている、「印伝の山本」の代表取締役社長 山本 裕輔さんにこれまでの会社の歩みや印伝についての様々なことをお聞きしました。
印伝の山本の歩み
まずは印伝の山本の歩みについて伺いました。
「私の祖父、山本金之助が1955年に山本商店という名の会社を創業したのが始まりです。」
金之助さんは戦前、1930年代に印伝屋 上原勇七に勤めて、そこで印伝の製作技術を習得してきたそうです。
そして、戦時中は、徴兵されて戦争に行きました。
「1947年に戻ってきた際には甲府空襲で甲府の街っていうのが、全く無くなってしまった状態で、上原さんの店舗も営業していなかったので、実際仕事がない状態でした。自身も戦争に行った際に身体に障害を負ってしまったので、その状態でなかなか社会復帰が厳しかったのです。」
そして自分が戦前習得した技術を使って、ランドセルなどの革製品製造の下請け業として山本商店を立ち上げました。
その時は、横浜とか東京とかのランドセル販売店さんから仕事をもらってきて、鹿の革とか全然関係なく、純粋に縫製の技術を使って子どもたちにランドセルを作ったり、学習カバンを製造して資金を貯めていました。
当時、印伝を作るために必要な鹿の革というのは、戦前から海外からの輸入に頼っていました。戦後すぐも、鹿の革は輸入で入ってこない状態がつづいていました。その後、お金を貯めながら、印伝を作る機会をうかがっていました。
鹿の革が一定数、入手でき確保できるようになったのは、1972年に日中平和友好条約が締結されて、中国との国交が正常化した後です。
「ようやく中国経由で一定の鹿の革を確保できるようになって、戦前に印伝で学んだ技術を使って印伝の製造を再開してみようかということになって製造を始めたのが、印伝の山本のはじまりですね。」
伝統工芸士の5文字への憧れ
祖父 金之助さんから数えて3代目になる山本裕輔さんは小さい頃は今のように伝統工芸の職につくとは考えていなかったそうです。
「小さい頃はゲームのプログラマーになりたいとかゲームのシナリオを作りたいとか、そういったことに興味があって、ゲームとかアニメとか自分の好きなものに対してのあこがれが強かったです。」
そんな裕輔さんの意識を変えたのは、中学2年生の時。先代である父 誠氏が甲州印伝 伝統工芸士の認定を受けて、その盾を家に持ち帰ってきたことからでした。
「その盾を見たときに、父が称号としていただいた伝統工芸士という5文字の漢字にすごく共感や憧れを覚えました。この伝統工芸士になりたいという想いが強くなって、必然的に印伝の仕事を選んで、今に至るという感じですか。
貴方の仕事は何ですかと言われたときに、例えば、『家を作っています。建築士です。』とか言うじゃないですか。僕が聞かれたときに“伝統工芸士”ですと名乗りたいと思ったのがきっかけですね。」
そして、15歳のとき甲州印伝の伝統工芸士になると決断したそうです。
「このときから大学を卒業し印伝の山本に就職する22歳まで、甲州印伝の伝統工芸士になるための修行の道として自分で設定して勉強をしてきました。
この7年間の勉強のおかげで、社会人になったタイミングでは修行のつらさとかは既に終わっている状態でした。そして父の跡をついで、今は会社も運営しています。」
印伝の山本は消費者に自分の作ったものを直接販売する販売形態。
消費者のポジティブな意見も、逆にネガティブな意見もド直球で自分に向かってきます。
「ネガティブな意見を受けたときは、自分自身がネガティブな気持ちになってしまうこともありましたが、印伝を作ること自体は、まったくと言っていいほどつらいとかということはないですね。
どんどん作っていきたいし、どんどんもっと技術を手に入れたいので、目の前にお宝の道が続いているような感覚、それを回収していく感じですから、まったく疲弊感というかそういうものはないですね。」
もう一つの夢が繋げたコラボレーション
そんな天職とも言える伝統工芸士という仕事を楽しんでいる裕輔さん。
それでも小さい頃に芽生えたもう一つの夢を思い出すこともあると言います。
「子供の頃に持っていたゲームのデザイナーとかシナリオを書きたいという憧れは、心のどこかに少しあって、好きで印伝の仕事を始めているのですが、もう一つ過去に好きで、もしかしたらなるかもしれなかった仕事として意識する部分はありました。」
1度しかない人生、両方の夢を手に入れたいという想いが、印伝にあこがれの仕事をミックスするという発想に至ります。
「大学に入ったくらいの頃、漠然と印伝に、ゲームとかアニメとかの発想を組み合わせてもっといろいろな商品を作れば、自分と同じ若い世代に印伝の良さを知ってもらえるのではないかと思ったのです。最初はゲーム会社さんなどに営業をかけ、印伝を使った新しいアイテムの提案を行いました。」
これがその後の様々な分野とのコラボレーションにつながります。
「実際、印伝の柄のデザインはかなり自由度が高いのです。
こうしなければならないという決まりはないので、自由に柄とかを変えることができますし、企業や商品のロゴなどを使って、新しいデザインのアイテムを作ることもできます。もちろん金額とかも、いろいろな予算感で制作できますというような感じで営業をかけていたところ、非常に興味を持ってくださって、コラボしようというきっかけになりました。」
その最初のきっかけとなるコラボレーションは2009年。
裕輔さんにとってさらに追い風となったのは、2010年6月に経済産業省が「クール・ジャパン室」を設置し「Cool Japan」を日本のブランド戦略として海外へ展開していく流れでした。
日本のコンテンツとして輸出するべきものは、アニメとかゲームなどのポップカルチャー、それに伝統工芸などのハイカルチャー的なコンテンツという国の政策は、まさに印伝の山本が行ったこと。この両者をミックスさせた取り組みをメディアがさらに大きく取り上げました。
「これをきっかけに非常に多くの方から声をかけていただけるようになって、今ではもうコンテンツのライセンスを持っている方から、こういう商品を印伝で作りたいとご提案をいただいたりするという状況です。」
ものづくりの原点への回帰
印伝の山本は、20年程前まで、店舗を持たず、一般消費者向けというより、問屋さん相手の店舗様向けの商売をしていました。
「店舗さんが取り扱う商品の裁量権を持ち、この商品はちょっと取り扱えないとなると、いくら自分たちが良い商品を作っていても売ってはもらえません。誰にも知られないまま、消えていく商品がいくつもありました。」
父・誠さんの代にも人気のアニメキャラを用いた印伝をODM(※1)の形で作っていたりとか、今のコラボレーションと似たようなことはしていたと言います。
「ただ当時はインターネットもなく、知られないまま終わっていくというのが、すごく多くありました。
そういった商品がもったいないということがあって、店舗を持って、直接消費者に届ける、自分たちで情報を発信していくという、今の印伝の山本の販売体制ができあがっていったのです。」
「私自身も印伝に限らず、各地の工芸士さんの話を伺ったりしていると、『これはすごい!』というものを非常に安価で提供しているという商品が多々あります。
ただその反面、その会社自体は疲弊していたりとか、そのバランスがうまく釣り合っていないという風に薄々と感じてきました。」
「実際購入してくれるお客様から直接いろいろな意見を聞く。本来伝統工芸ってそういうものだったのではないかと思っています。」
必要があって必要だと思っている人がたくさんいて、そこから腕を持った技術者の人たちがそれを生み出していく。そうしてできたものが、伝統工芸の一番原点の部分なのです。
「それがどこからか高尚なものになっていき、もともと原点にあった必要だから欲しかったものから徐々に枝葉が離れていっている気がしています。」
ともう一度、ものづくりの原点へ戻る必要があると言う裕輔さん。
「必要があって、こんなものが欲しいという声があって、そこを技術者が創意工夫をしながらよりクオリティの高いものを提供するという形に戻す必要性があるのではないかと思いましたね。」
そのためにも、そういった声、印伝について熱く語れる人がもっと欲しい。
自分が印伝を商売にしているから、印伝を広めたいということではなくて、本当に単純に印伝が好きだから、より印伝のことをもっといろいろな人に知ってもらいたい。そういう想いが強くなっているそうです。
「例えば自分の気に入ったお店とか好きなアニメとかゲームとかでもそうですし、自分がいいなと思ったものって、やっぱり人とシェアしたいという気持ちっていうのは、絶対人間の根底的にあると思うのですよ。
もっとあそこはいいから行ってみてとか。それが私にとっての印伝だったっていう感じですね。」
その自分の好きなものを広めたいという気持ちが印伝の山本の原動力なのかもしれません。
※1 ODM…Original Design Manufacturing 委託者のブランドで製品を設計・生産すること
印伝の山本の商品の魅力とは
コラボレーションという一過性のものだけではなく、印伝の山本の商品が伝統工芸や印伝という世界で、確固たる地位を築いているのは、その商品の魅力があってこそ。その印伝の山本の商品の魅力とは?
「一つ目は視覚で色合いですね。鹿の革の染めた色はカラーリングだけで大体30色はあります。漆の色は大体5色くらいなのですが、それだけでかなりのカラーパターンを作ることができます。」
色や柄には決まりはないので、自由に組み合わせてその人だけの好きな組み合わせで作ることができる。豊富なカラーパターンは他社にはない印伝の山本の個性になっている。
▲革について:一般的に印伝の色というと、黒・臙脂・紺・こげ茶が多い。印伝の山本は、それを一周回るくらいのバリエーションがある。
「二つ目に触覚で、かなり革質は柔らかく作っています。他社さんの印伝と比べる機会はあまりないかもしれませんが、実際触っていただけると、『御社の商品はなんでこんなに柔らかいのですか?』と言われるくらい、手触りの柔らかさにこだわって作っています。」
鹿の革の本来の特徴は柔らかさと軽さだと言います。
実際、印伝の山本の商品を触ってみると、その手触りの良さに驚きます。使っていると触るたびにその触感に愛着が湧いていきます。
「色や柄の組み合わせは、作りたい最終ゴールのイメージが最初にあってゴールに向かってどのように道筋を作っていくかです。
例えば、財布のこういう形をこういう人たちに買ってもらいたいというゴールを先に設定して、そのためにはどのような色にしようかと色の選定をしたり、この色とこの柄という組み合わせという道筋を決めてからそれに対して、染めてもらうという流れです。」
これも直接お客様が見える販売形態だからできること。そのゴールのイメージがあるからこそのものです。
制作の段階でもいろいろと苦労があります。
「材料や在庫の管理など制作以外でも苦労があります。その辺は考えながらうまくやって、よりみなさんに商品を楽しんでいただけるようにしています。」
様々な苦労があっても、お客様の喜ぶ顔があるからこそできる。お客様あっての印伝の山本。それが印伝の山本の原点なのです。
▲粗裁ち:商品それぞれの形に裁断するまえに、タガネを使って無駄がでないよう長方形に裁断する。
▲伊勢型紙:印伝の型紙を保管している部屋。一番よく目にするトンボの型紙。三重県の伝統的工芸品「伊勢型紙」を使って木枠に貼っている。
▲漆:今回は白漆。白漆と言っても純白ではない。元々漆の液体自体が、透明な飴色をしている。これに顔料を入れて白漆を作る。
目指すのは代々受け継がれるもの
裕輔さんにとっての伝統を継承する意義について聞きました。
「実はあまり伝統という言葉自体に、強いこだわりはもっていません。印伝に関しても伝統だから続けるというより、私自身が印伝をすごく良いものだと思っていてそれを皆さんに知って欲しい。だから紹介しているような感じです。
良いものだからおじいさんから子供へ、子供から孫へと引き継がれていくように、人間の営みは続いていくじゃないですか。そういったところにそっと印伝が寄り添い、続いていければと思います。」
伝統というより、ものづくりの原点へ。そこから大量消費ではなく、代々受け継がれるものへ。それが裕輔さんにとっての伝統です。
「変に押し付ける感じや、『こうしなきゃいけない』とか伝統という言葉についてくるネガティブなイメージを払拭したいと思っています。あんまり強く意識しなくても、なんとなくそこにあるみたいなニュアンスを言葉として表現するならば、“伝統”となるような感じが自分のイメージに使いからと思います。」
求めるのは印伝のインフルエンサー
メディアに取り上げられる機会も昔に比べて、かなり多くなったものの、印伝という言葉は山梨県では認知度が高いものの、全国的にはまだまだ知っている人は限られています。
そんな認知度の中、印伝を次世代に伝えていくという観点で考えると、過去の祖父から本人まで伝えるという部分は繋がっていても、その先の未来、本人から孫へ伝えていくという部分をうまく繋げていかないと、印伝というものが「知る人ぞ知る」という存在のままになってしまうのではないかと裕輔さんは考えています。
「『知る人ぞ知る』存在から脱却するにまずはメディアの取材をたくさん受けていろいろな人が目にする機会を増やしていき、印伝という存在をより多くの人に知ってもらうことが必要だと思います。さらにみなさんに印伝を山梨の一工芸品としてなんとなく知っているのではなく、印伝が自分の人生に寄り添っていると感じてもらえるようにしていきたいですね。」
そのために必要なのが印伝のインフルエンサーと言えるような存在です。
裕輔さんは店舗の隣に印伝の体験工房を作る予定です。大人から子供までこれまで漠然と印伝を商品として使っていた方々に、作り方を体験してもらい、より印伝の深い部分を知っていただく、その輪を広げてもらうことで、より印伝を好きになってくれる人が増えてくるという連鎖が起こることを考えています。
「子どもたちが無地の革の上に模様がサーとのっていく体験をすると『もっとやりたい』『すごく楽しい』などの感想をもらいます。子どもたちは、きれいに模様をつける体験が、すごく面白いらしいです。大人でもやりたいっていうくらいだから、子どもたちはもっとやりたいですよね。」
▲位置合わせ~漆付:どの部分にどの模様を乗せていきたいか、計算して位置合わせしていく。漆がはみ出ないように。型を置いたら、準備完了。ヘラはおじいさんの代から使用。それぞれ革の大きさに合わせたて適切なヘラを選ぶ。印伝の山本では漆は必ず1回でつける。
▲型をはがす:はがすコツはゆっくりと。表面張力を意識しながら。一発でダメだったら、その革は廃棄になる。全部が一発勝負。
▲室(むろ):この中は1年中、同じような気温・湿度に管理している。漆をつけた革、漆がじっくり固まっていくまで、この部屋でじっくり保管して待つ。そうすることで、印伝独特の手触りが生まれる。
これからの甲州印伝について
「山梨県産の鹿を使って、印伝を作っていきたいですね。
印伝は、山梨県の甲府市で生まれました。生まれた土壌、ストーリーの上に今の印伝があるので、そういった部分を含めて、より知ってもらいたいという想いは強くあります。
そのためにも山梨県の材料を使ってということが必要なのではないかと思います。」
山梨県の鹿を適正な価格で買うことによって、狩猟している人たちも収入が増えます。
「元々鹿を捕るだけでも県や自治体から補助金がもらえます。さらに僕たちが買えば、彼らの収入も増える。収入が増える業界はどんどん大きくなっていくので、結果的に後継者育成にもつながります。そうすれば狩猟の仕事を目指したいという若者も増えてくるので、すごく良いことだと思いますね。」
印伝に関する仕事には実は様々な種類があって、様々な人が関わっています。当然印伝を作る職人や印伝を売る人、道具を作る人、材料を確保する人、漆をとる人、鹿を捕る人がいます。
「印伝を売っていくと、結果的に漆などの伝統工芸に関わる産業が守られ、周囲が活性化していく。こういう循環が理想的ですね。」
取材を通して感じたのは裕輔さんとは甲州印伝の職人であると同時に伝道師であるということです。商品を作るだけでなく、多くのインフルエンサーを育てて次世代へとつなげる。
これからもお客様と向かい合って、新しい取り組みや印伝を取り巻く環境を含めて構想を膨らませていくでしょう。
こういう人がいる限り、甲州印伝の灯は輝き続けると思いました。
2020年度 第45回全国伝統的工芸品公募展の受賞について
2020年度 第45回全国伝統的工芸品公募展 において、印伝の山本の芹澤依子さんが「鳥獣人物戯画 袋物一式 『まう・ねらい・かける・みなも』」にて内閣総理大臣賞を受賞。山本裕輔さんの「ガッサイ(紫檀木画槽琵琶柄)」が若手奨励賞を受賞されました。おめでとうございます。この受賞に際して、メッセージをいただきました。
芹澤依子さん
Q1 受賞した作品「鳥獣人物戯画 袋物一式 『まう・ねらい・かける・みなも』」のコンセプトを教えてください。
甲州印伝の柄は多種ありますが、美術をモチーフとしたものは殆ど見られません。また、従来の柄はどれも基本的にカッチリしたデザインです。今回は手書きの温かみのある鳥獣人物戯画を題材に取り入れ、伝統工芸と美術を同時に楽しめる商品開発に取り組みました。原画の繊細な線を生かしつつ、ぷっくりした漆で再現できるよう細かく調整しました。アイテムも甲州印伝らしい合切袋に加え、ポーチ、通帳ケース、と幅広い生活スタイルの方に取り入れやすいラインナップにしています。
Q2 どんな経緯で伝統工芸に携わることになったんでしょうか?
昔からものづくりが好きで、メーカーでは製造関連業務に携わり、前職の伝産協会では毎日のように全国各地の伝統的工芸品に触れてきました。その中で、国指定の唯一のユニークな革工芸「甲州印伝」にはまだ発掘されていない多くの魅力があるのではないかと感じました。その魅力を実際に産地に入って技術を学び、自分なりに模索してみたいと思ったのがきっかけです。
Q2 伝統工芸にかける想いを教えてください。
経済産業大臣指定「伝統的工芸品」は、どんな時代でも日常生活の中にあり、実際に使われること事が大前提です。これまで長らく受け継がれてきた技術を更に勉強し、ライフスタイルに合った実用的なアイテム、アイディアを提案できればと考えています。
山本裕輔さん
Q1 受賞した作品「ガッサイ(紫檀木画槽琵琶柄)」のコンセプトを教えてください
この作品は国宝「紫檀木画槽琵琶柄」に描かれていた柄より着想を得、印伝用に調整しました。現物は収蔵品であり、一般公開されているものでもないため、宮内庁に確認をとり写真から一つ一つのパーツを抽出。模様の欠損している部分を補完しながらの作業でした。
甲州印伝の定番アイテムの一つである『合切袋(がっさいふくろ)』に竹の取り手を付ける、ショルダーとしても使えるよう紐をつける等、現代生活での使用に伴えるよう改良を施したものにこの図案を使用。気軽に街に持ち歩ける国宝の柄というコンセプトで製作しました。
Q2 伝統工芸に向き合う同志として、芹澤さんへのメッセージ
おめでとうございます。自分も負けずに内閣総理大臣賞を目指したいと思います。
続報:2021年1月28日 甲府市長表敬訪問
2021年1月28日、今回内閣総理大臣賞を受賞された芹澤依子さんと若手奨励賞を受賞された山本裕輔社長のお二人が樋口市長を表敬訪問しました。両氏から作品の紹介、制作時の苦労などが伝えられ、これからの印伝についてなど多くの共感をいただきました。
▲表敬訪問は和やかな雰囲気で進みました。
▲受賞の鳥獣人物戯画 袋物一式 『まう・ねらい・かける・みなも』とガッサイ(紫檀木画槽琵琶柄)
▲興味深く受賞作を見る樋口市長と説明をする芹澤さん
▲左上:印伝について熱く語る山本さん ▲右上:鳥獣人物戯画 袋物一式の緻密な図柄
▲受賞おめでとうございます。